育成馬臨床医のメモ帳

このサイトは、育成馬の臨床獣医師が日常の診療で遭遇する症例に関して調べて得た情報をメモとして残すものです。

バイオフィルムと馬の脚部の創傷 レビュー その②(Jorgensenら2021)

馬の下肢部(前肢なら腕節より下、後肢なら飛節より下)の創傷管理は困難を伴うことがあります。小さな創傷であったとしても治癒遅延がおきやすく、結果的に運動復帰が遅れてしまうことがしばしばあります。

 

これにはいくつかの要素がかかわっていると考えられていますが、そのひとつで近年注目されているのがある種の細菌群によって形成されるバイオフィルムです。

 

バイオフィルムは単一もしくは複数の細菌が群をなして形成するもので、文字通り強固なフィルムを持つことで内部の細菌に生活しやすい環境を提供すると同時に、宿主免疫系の細胞や抗菌薬などの攻撃から保護することができます。これは細菌が生存に適さない自然界の環境中でも生き残るために、細菌が持ちえた生活様式のひとつですが、実験室や生体外で完全には再現できないために解明がなかなか進んでいません。

 

ここまでにわかっている細菌のバイオフィルム形成と馬の脚部の損傷の関連についてまとめたレビュー文献を紹介します。

 

ハイライト
  • ヒトの手足末端の創傷と馬の脚部の創傷は、二期癒合による治癒過程、慢性的な炎症、低酸素および感染を伴う治癒遅延といった共通点がある。

 

  • 共通点が多いことからヒトの慢性創傷モデルとして馬の脚部の創傷が適していると思われるが、実験的なモデルは本当の意味で慢性化した創傷ではないことが欠点である。さらにヒトの慢性創傷がみられる患者は高齢で疾患(糖尿病、心疾患、肥満など)持ちの集団であることも、モデル動物とは大きく異なる点である。

 

  • 馬での調査は少ないが、筆者らのグループはバイオフィルムの検出に特殊な診断方法を用いて、実験的に作成した脚部の傷には100%バイオフィルムが形成されることを明らかにした。

 

  • 実験的に体部と脚部に創傷を作成し、細菌を接種したところ脚部にはバイオフィルムが形成され維持された一方で、体部の創傷ではバイオフィルムがすぐに消失したことが明らかにされた。創傷に細菌が存在することで必ずしもバイオフィルムが形成されるわけではなく、その傷の条件と細菌と戦う能力次第であることが示唆されている。

 

  • 脚部の創傷にバイオフィルムが形成されやすいことは、炎症が機能不全となり低酸素になりやすいことで感染しやすいことと関係があると考察されるが、これはバイオフィルムによってももたらされる効果であり、まさに鶏が先か卵が先かというジレンマである。

 

参考文献

www.ncbi.nlm.nih.gov

文献引用

3.創傷治癒遅延についての馬とヒトの共通点と馬をモデルにできる可能性

 馬の脚の創傷は最もよくある傷のひとつで、たいてい組織が失われていたり、汚染されていたり、一期癒合ができなったりして二期癒合により治癒する必要がある。ヒトの慢性損傷である糖尿病患者の脚潰瘍や静脈性潰瘍ではバイオフィルムは治癒遅延の貢献要因である。馬においてもバイオフィルムを伴う感染は治癒遅延の貢献要因となる可能性が高く、これは馬とヒトの慢性創傷に以下の多くの共通点があるからである。

  • 部位:脚末端部におきやすい、治癒遅延はヒトでも馬でも脚や手で主にみられる。
  • 治癒タイプ:主に上皮化により治癒する、収縮contractionによる治癒は馬でおよそ15−20%のみ、ヒトでは30%でみられる。
  • 炎症:馬の脚部の創傷とヒトの慢性損傷はどちらも制限を失ったサイトカインにさらされて炎症が長期化する。
  • 酸素供給:馬とヒトの創傷治癒遅延では血流低下、低酸素、虚血が起きる。
  • プロテアーゼ活性の上昇:治癒遅延している創傷ではプロテアーゼが活性化している。
  • 創傷の病原体:Streptococcus aureus(ブドウ球菌)やPseudomonas aeruginosa(緑膿菌)は創傷でよくみられる病原体である。

馬とヒトでみられる慢性創傷の治癒遅延を再現するのは困難で、それは多くの動物モデルが馬やヒトの治癒遅延と大きく異なるパターンを持つからである。ヒトの創傷の動物モデルでよくみられるのは齧歯類やウサギで、薄くルーズな皮膚を持ち、皮筋により収縮して主に治癒する。慢性創傷でみられる炎症が控えめで上皮化を中心とした治癒パターンを模倣する動物モデルを作成することは最も困難な課題である。他にはあまり用いられないが、豚も創傷の研究モデルである。この動物は齧歯類やウサギよりもヒトの創傷治癒に似ている部分が多く、皮膚がタイトで上皮化が優勢な治癒が見られるからである。したがって豚の創傷モデルは他の動物より優れていると考える人もいる。しかし豚モデルの欠点は、動物が比較的若く、創傷からの滲出物がない、真に慢性化していない、実際のところ創傷部位が側面か背面になってしまい足や手でみられるような末梢循環障害が起きない領域であることである。創傷治癒への影響や抗バイオフィルム治療の効果を評価するために、Vivoのモデルは不可欠である。しかし、それがどの程度臨床的な状況に応用できるかは不明確である。それは宿主の反応や、創傷の病態および動物モデルは真に慢性化していないからである。さらに言えば、ほとんどの動物モデルは若く成長期の動物は併存疾患がないが、ヒトの慢性創傷の患者の集団はたいてい高齢で糖尿病や心疾患および肥満などの持病を持っている点で異なる。馬はより適した動物モデルの種であると考えられ、それは脚部の創傷治癒過程がいくつか固有なものがあり、治癒が緩徐でこじれやすいことがヒトの末端損傷と似ているからである。ヒトの慢性創傷と同様に、馬に実験的に作った脚部の創傷にはバイオフィルムが広く存在し、それがあると創傷治癒が遅れた。さらに、馬の体部の創傷にはバイオフィルムが形成されず、体部の創傷は同一の動物の内在コントロールになりうる。ヒトの慢性創傷の動物モデルとして馬を使った調査は馬にもメリットがあって、バイオフィルムを伴う感染に関連した馬自身の治癒についてもわかる。

 

バイオフィルムと馬の脚部の創傷

 この10年間で、3本の文献で術創および外傷の創傷におけるバイオフィルムが報告されてきた。しかしこれらの調査では検出方法が最適なものではなく、馬の脚部の外傷におけるバイオフィルムの本当の有病率を知ることは難しい。しかしながら、それぞれ創傷の10%、61.5%およびほとんどでバイオフィルムがみられたと報告されていた。これらの調査ではバイオフィルムの創傷治癒に対する影響についての調査は行われていなかった。2010年にはWestageらはバイオバーデンやバイオフィルムの存在が馬の創傷治癒にどのように影響するかはわからないが、負の影響が想定されると推察した。

 

 馬について実験的な調査では、筆者らのグループが明らかにしたのは、体部の創傷にはないが、外科的に処理して包帯したクリーンな脚の創傷には100%バイオフィルムが存在するということである。この調査ではゴールドスタンダードな検出方法であるペプチド核酸のin situ ハイブリダイゼーション蛍光染色および共焦点レーザー顕微鏡を用いた。この調査から、バイオフィルムが脚部の創傷治癒遅延に関連しているかもしれないことが示唆された。脚部の創傷で、地面に近いほど細菌による汚染リスクが上昇し、これ自体は必ずしも創傷治癒に負の影響はなく、ある実験的な創傷の調査では糞便による汚染は創傷治癒を改善することが示された。筆者らの実験において、体部と脚部の創傷におけるバイオフィルムの有無が異なる理由は、体部に比べて脚部は炎症反応が控えめだが長期化するからであろう。他にも脚部の創傷は低酸素になりやすいことも理由の一つでこれにより感染への抵抗性が減る。炎症が正常に機能しないことと低酸素であることは細菌にとってバイオフィルムを形成するにはもってこいの状況になっている。一方で体のコンディションもバイオフィルムを伴う感染の影響でもあり、鶏が先か卵か先かのジレンマである。

 

 さらに筆者らのグループは馬の実験的な創傷モデルとしてS. aureusやP. aeruginosaを接種して、バイオフィルム形成が起きるか、それが治癒に与える影響を調査した。菌を接種した脚の創傷にはバイオフィルムが形成され持続し、治癒には負の影響を与えたが、体部の創傷に接種した部分のバイオフィルムはすぐに解消され治癒には影響しなかった。このことから、必ずしもバクテリアが創にいること自体が問題なのではなく、バイオフィルムが形成されるかどうかは創傷の舞台とそれがバイオフィルム形成菌と戦う能力によって決まること、それは馬の脚部と体部の創傷では大きく異なることを示している。

 

 馬の創傷から分離された細菌はin Vitroでバイオフィルム形成能力があるか検証されてきた。しかし、Vitroでのバイオフィルム形成能と、細菌が培養された傷においてバイオフィルムが実際に形成されていたかどうかには相関がなかった。したがって、バイオフィルムと馬の創傷治癒への影響をより理解するためには、他の検査や診断を用いなければならなず、それをこれ以降に述べる。