馬の下肢部(前肢なら腕節より下、後肢なら飛節より下)の創傷管理は困難を伴うことがあります。小さな創傷であったとしても治癒遅延がおきやすく、結果的に運動復帰が遅れてしまうことがしばしばあります。
これにはいくつかの要素がかかわっていると考えられていますが、そのひとつで近年注目されているのがある種の細菌群によって形成されるバイオフィルムです。
バイオフィルムは単一もしくは複数の細菌が群をなして形成するもので、文字通り強固なフィルムを持つことで内部の細菌に生活しやすい環境を提供すると同時に、宿主免疫系の細胞や抗菌薬などの攻撃から保護することができます。これは細菌が生存に適さない自然界の環境中でも生き残るために、細菌が持ちえた生活様式のひとつですが、実験室や生体外で完全には再現できないために解明がなかなか進んでいません。
ここまでにわかっている細菌のバイオフィルム形成と馬の脚部の損傷の関連についてまとめたレビュー文献を紹介します。
ハイライト
- ヒト医療ではどんな傷にもバイオフィルムが形成される可能性があり、創傷治癒遅延との潜在的関連が示唆されているが、どうしてどのように影響しているのかはまだわかっていない。外傷以外にもインプラント感染や尿路系感染症、骨髄炎、心内膜炎および肺炎などの感染症がバイオフィルムとの関連を疑われている。
- 獣医領域ではバイオフィルムと創傷に関する文献は少ない。しかし、バイオフィルムの解析には動物モデルがよく用いられているため、ヒト医療の研究がオーバーラップする部分は多くあると考えられる。
- 馬での調査は少ないが、脚部の傷と体部の傷では、脚部の方にバイオフィルム形成が認められ、治癒に負の影響があった。ヒトと馬の創傷治癒遅延についての共通項は多く、バイオフィルムの関与を疑うには十分である。
- バイオフィルムそのものの基礎的な研究では、VitroとVivoで環境要因に差がありすぎて、生体環境におけるバイオフィルムの役割や動態の解析が十分に進んでいない。その中でもわかってきた興味深い点は、バイオフィルム形成菌は菌どうしでのコミュニケーション系を発達させ、細菌増殖やバイオフィルム形成と維持を集合体として調節していることである。
- この細菌どうしのコミュニケーションシステム(QS:Quorum Sensing)がいつから、どのように、何をきっかけにして形成されるのかはわかっていないが、解析が進めば、将来的にはQSをターゲットにした分子標的薬のような治療方法が開発されるかもしれない。
参考文献
文献引用
1.はじめに
人と同じように、馬も慢性的な脚の傷に苦しむ。どちらの動物種においても、治癒がうまくいかない主な要因は低酸素や慢性的な炎症が示唆されてきた。ここ10年では人の慢性創傷においてバイオフィルムを伴う感染が調査されてきて、今ではこのような傷にはどこにでもあると考えられている。創傷の慢性化とバイオフィルムには潜在的な関係が明らかにされてきたが、バイオフィルムによる創傷治癒が遅延する正確なメカニズムは完全には解明されていない。
獣医療では、創傷に関連したバイオフィルムを伴う感染については非常に限定的である。馬について書かれた4報と犬の3報では傷におけるバイオフィルムの存在が報告されてきた。近年の調査で、実験的に作成した創傷では脚にはバイオフィルムが形成されたが、体部には形成されなかった。さらに、最近の実験的に細菌を接種した創傷モデルにおいて、バイオフィルムは脚の傷には創傷治癒に負の影響があるが、体部の傷にはないことがわかった。馬の脚の創傷におけるこれらの所見と、馬と人の創傷治癒遅延に共通するいくつかの点があることから、馬における創傷治癒の遅延にバイオフィルム形成が何らかの形で関わっていることを疑う理由となる。このレビューの目的は、創傷に関連するバイオフィルムの存在および獣医領域、特に馬の臨床医に創傷治癒への影響について注目してもらうことである。
2.バイオフィルム総論
細菌は単一の細胞、浮遊細胞またはバイオフィルムの形で生きている。我々が知っているのはほとんどが古典的な培養プレートまたは振動させながら培養する浮遊細胞から得られるものである。しかしながらバイオフィルム形成は古代からある細菌の生活様式で、自然界で適さない環境でも生存できる要因のひとつである。残念なことに、バイオフィルムは浮遊細胞よりも複雑な生活様式で、わかっていることの多くはVitroでの研究からえられたものである。しかし、VivoのバイオフィルムはVitroのものと大きく異なっている。近年の国際的な合意声明においてバイオフィルムは以下のように定義されている。
「構造のある集合体で、遺伝的多様性と様々な遺伝子型の発現(フェノタイプ)があり、これによりユニークな感染が成立するための挙動や防御が作られる。バイオフィルムの特徴は、宿主の免疫から保護すると同時に、抗菌薬や殺生物薬に対して耐えることができることである。」
Vitroでは、バイオフィルムの基質について調査され、細胞外で物質が重合したものであることがわかってきた。その内容は多糖、タンパク質、DNAおよび脂質が主で、これにより内部の細菌を環境の変化から保護し、機械的な安定性をもたらす。Vivoのバイオフィルムでは、宿主の好中球由来のDNAや細胞外基質も取り込まれる。さらにいえば、基質は栄養源となり、酵素活性を触媒し、水和され、細菌間での水平遺伝子転移もおきる。Vitroのバイオフィルム内で、細菌どうしでQS(Quorum Sensing)と呼ばれるコミュニケーションシステムがあり、個々の細胞の挙動を協調できるのが強みである。細胞密度が増すとQSが活性化され、毒性因子、抗菌薬抵抗性や耐性、バイオフィルム形成および維持をQSシステムで調整する。しかしVivoの感染ではQSシステムがあるのか、いつどのようにできるのかはまだわかっていない。ある調査ではVivoのほうがQSの発現がVitroより低いとされたが、VivoとVitroでは環境が大きく異なり、さらなる調査が必要である。さらに、将来的な抗バイオフィルム治療としてQSをターゲットにすることが調査されているが、VivoのバイオフィルムにおいてQSがどうやって、どの程度使われているかを知ることはさらに重要である。
共に強化するモードのとき、バイオフィルムは耐えられる力を伸ばして抗菌薬の感受性を下げる。耐えられる力はバイオフィルムのフェノタイプとして一時的に抗菌薬の感受性が下がるもので、遺伝的な特性である抗菌薬抵抗性と混同してはいけない。耐えるようになるには時間がかかり、1-2日未満の未熟なバイオフィルムでは抗菌薬による治療は容易である。一方でVitroにおいて成熟したバイオフィルムでは浮遊細胞の1000倍の抗菌薬濃度が必要となる。
バイオフィルムは、いくつかの経路で適正で効果的な免疫反応を抑制することで宿主免疫を回避する達人である。不十分な炎症では、宿主の好中球から酵素とオキシラジカルが大量に放出され、周囲組織を損傷させる。また、細菌と合体できなかった抗体は免疫複合体を形成して組織沈着し、オプソニン化と補体結合を促進する。加えて、慢性創傷におけるバイオフィルム形成はそれ自体が酸素を消費して低酸素となり、白血球を誘導する。これにより低酸素が維持され、慢性炎症はバイオフィルム形成に好都合で、同時に周囲の損傷も起き、創傷は慢性的に維持される。
しかし、バイオフィルムは慢性感染を起こすものの、いつも悪者ではない。消化管や皮膚のバイオフィルムはとても重要で、免疫防御や宿主の消化できないものの分解をして助けてくれる。
ヒト医療では、創傷感染以外にも幅広い感染にバイオフィルムが関連していると考えられている。例としては尿路系、骨髄炎、インプラント関連感染、中耳炎、副鼻腔炎、心内膜炎、歯垢、腎結石、肺炎(特に嚢胞性線維症)があるが、どれも臨床的な感染にバイオフィルムがどうかかわっているのかまでは、まだほとんどわかっていない。米国ではこれに関連した感染は多くの患者がおり、多額の消費がなされてきた。近代の医療でもっとも難しい課題のひとつであり、診断の改善、バイオフィルムの予防、バイオフィルム感染の根絶に関する調査は集中的に継続中である。
獣医領域においてバイオフィルムに関連した感染と診断および治療について書かれた文献はほとんどない。このテーマを理解するには、いまのところ視野を大きく広げる必要がある。バイオフィルムの研究には多くの動物が使われていて、げっ歯類、うさぎ、豚、馬が含まれている。したがって、獣医領域でもヒトと同じようにバイオフィルムが慢性感染の多くの症例に関連していると考えてよい。