育成馬臨床医のメモ帳

このサイトは、育成馬の臨床獣医師が日常の診療で遭遇する症例に関して調べて得た情報をメモとして残すものです。

バイオフィルムと馬の脚部の創傷 レビュー その③(Jorgensenら2021)

馬の下肢部(前肢なら腕節より下、後肢なら飛節より下)の創傷管理は困難を伴うことがあります。小さな創傷であったとしても治癒遅延がおきやすく、結果的に運動復帰が遅れてしまうことがしばしばあります。

 

これにはいくつかの要素がかかわっていると考えられていますが、そのひとつで近年注目されているのがある種の細菌群によって形成されるバイオフィルムです。

 

バイオフィルムは単一もしくは複数の細菌が群をなして形成するもので、文字通り強固なフィルムを持つことで内部の細菌に生活しやすい環境を提供すると同時に、宿主免疫系の細胞や抗菌薬などの攻撃から保護することができます。これは細菌が生存に適さない自然界の環境中でも生き残るために、細菌が持ちえた生活様式のひとつですが、実験室や生体外で完全には再現できないために解明がなかなか進んでいません。

 

ここまでにわかっている細菌のバイオフィルム形成と馬の脚部の損傷の関連についてまとめたレビュー文献を紹介します。

 

ハイライト
  • 馬の慢性創傷に関連したバイオフィルムについての調査研究は多くなく、ヒトの創傷におけるバイオフィルムの調査に倣って以下の章を述べる。

 

  • 創傷における細菌とバイオフィルムの分布は均一ではなく、さらに創の表面に付着しているだけの菌は創傷感染と関係ないただのコンタミネーションであることがほとんどである。したがって、創傷の組織生検を検体とした細菌分離とバイオフィルムの検出が最も価値のある診断方法である。

 

  • 生検できない場合は、組織のデブリードと洗浄を行ったのち、圧力をかけて組織からの漿液が出るようにしながらコットン素材じゃないものでスワブを複数箇所から採取する。

 

  • 組織生検が可能であれば、共焦点レーザー顕微鏡や走査型電子顕微鏡を用いて、バイオフィルムまたは細菌のペプチド核酸や16sリボソーマルRNAと結合する蛍光色素標識抗体で染色して検出する。しかし、臨床検査室でこれをルーティンに行うことは容易ではない。

 

  • 時間、手間、コスト面においても臨床現場で使える便利なバイオフィルムの検出方法はなく、臨床的な診断に基づいている。適切な治療を行っているにも関わらず、治癒が遅延する創傷ではバイオフィルムが関与していると臨床的に疑われる。

 

参考文献

www.ncbi.nlm.nih.gov

文献引用

5.創傷のバイオフィルムの取り扱い

 馬の創傷におけるバイオフィルムについての調査はまだ出始めたばかりのため、ヒトの慢性創傷におけるバイオフィルムの取り扱い方から得た知識に基づいて以下のセクションを述べる。しかし、先述したように共通点があるため、これらの情報を馬の創傷と強く関連し当てはめられることもあるとわかっている。

 

5.1.創傷におけるバイオフィルムの検出

 創傷のバイオフィルム診断は複雑で、明確な臨床症状がない、創傷内でバイオフィルムと細菌の分布が不均一である、生きているが培養できない細菌がいる、顕微鏡を用いた高度な方法が必要である。

 

 馬やヒトの創傷におけるバイオフィルムは小さく、5−200 μmで裸眼では見えない。バイオフィルムを伴う感染は必ずしも炎症の基本的な症状である、疼痛、発赤、熱感および腫脹を伴わず、多くの研究ではバイオフィルムを伴う慢性創傷に関連した特異的な症状を同定しようとされてきた。しかし、症状はさまざまで、バイオフィルムと相関する特定の症状はないことがわかり、臨床家にとっては創傷がバイオフィルムを伴う感染を起こしているかどうか評価することが難しくなっている。

 

 創傷における細菌のバーデンを調査するときの主な問題は、バイオフィルムだけでなく一つひとつの細菌も不均一に分布することで、したがって異なる部位から採材すると異なる結果となる。結果として慢性創傷からのサンプリングはミスリーディングで、結論が出ない、ひいてはネガティブな結果が得られるリスクもある。創傷の大きさが許せば、複数箇所からサンプリングが推奨される。

 

 培養してバイオフィルムを伴う感染を診断することは困難である。標準的な臨床的な培養方法では細菌が浮遊細胞として存在するか、バイオフィルムを作っているかについて情報が得られない。さらに言えば、ルーティンな培養方法では少ないか、全く検出されないことがしばしばで、バイオフィルム内の細菌は成長速度が顕著に遅い。

 

 創傷の細菌バーデンを評価するときには、生検が検体として推奨される。スワブだと関係ない表面に付着した菌のコンタミを起こすリスクがあるからである。生検が選択肢にないなら、デブリードした後に慎重にスワブをとるべきである。Levineが報告している手技が創傷のスワブには優れており、馬にも応用できる。この方法では、創の深部からの滲出液(したがって細菌を含む)を十分な圧をかけながら1㎠の範囲を回してぬぐう。先述の通り、創傷が大きい場合には、創の中で細菌やバイオフィルムが偏在するため複数のサンプルを採取することが推奨される。生検とスワブのどちらの検体も定量的な培養に供し、創傷における異なる細菌の量を得るためすべての細菌を同定する。検体採取前に、表面の汚染を除去するために洗浄とデブリードを行う。これは創傷の表面にある細菌は創傷における感染とほとんど関係ないからである。また、スワブの先がコットンになっているものは避けるべきで、コットンスワブに含まれる脂肪酸が培養の難しいいくつかの細菌の成長を妨げる可能性があるからである。有能なスワブはCopan ESwabで、細菌を取り込み回収する能力に優れ、馬でも使える。

 

 創傷の細菌バーデンを培養によって明らかにするには、超音波処理や繰り返しボルテクスするなどしてバイオフィルムを破壊するための処理が推奨される。

 

 分子学的方法(定量的PCRや16SリボソーマルRNA遺伝子シークエンス)では、成長の遅い細菌でも検出可能である。しかし、この方法では細菌の形質までは情報が得られない。ショットガンシークエンスはより詳細なシークエンスの方法で、細菌株レベルの詳しい情報が得られ、バイオフィルム形成のいわゆる遺伝子学的シグネチャーを検出できるが、これはバイオフィルム検出のゴールドスタンダードな方法ではない。ともかく、分子学的な方法では創傷に存在する細菌についての情報を得られ、有意な菌種が示唆されることで治療の方向性を決めることができる。

 

 いまのところは、創傷におけるバイオフィルムを検出するためには創傷組織内に集合した細菌、もしくはバイオフィルムに対する免疫反応を直接的に可視化する必要がある。共焦点レーザー顕微鏡CLSMと走査電子顕微鏡SEMは、創傷のバイオフィルム検出におけるゴールドスタンダードな方法である。ペプチド核酸PNAの蛍光色素in situハイブリダイゼーションFISHをCLSMと組み合わせるのが非常に有効な方法である。これはPNAのプローブが細菌の16sリボソーマルRNAに特異的に結合し、蛍光色素をCLSMで検出できるからである。PNA FISHとCLSMは馬の検体からもバイオフィルム検出に用いられてきた。

 

 PNA FISHとCLSMとSEMを組み合わせる方法は高次であるが時間のかかる方法で研究で行われる。しかしヒトや獣医療の臨床診断検査室ではルーティンにはできない。したがって、現状、ヒト医療ではバイオフィルムを伴う感染は臨床的な診断になり、適切な治療を行っているにも関わらず時間経過で治癒しない場合にバイオフィルムが疑われ、それに応じてバイオフィルムに対抗する治療を始める。馬の創傷でも同様のアプローチが推奨される。臨床例でバイオフィルムの診断をするためのツールが重要なリサーチトピックとなるのは当然で、多くのアイディアが生まれ、ブロッティングや染色、バイオフィルムが産生する揮発性有機物の検出などがある。理想を言えば、将来的には細菌種の存在を検出でき、バイオフィルムとして存在するかどうかわかる診断ツールが望まれる。